今日も前向きな生活を送る上での参考になる情報をお届けしよう。
過去の嫌な記憶を現在の状況と重ね合わせてネガティブな感情を抱くことがある。
それをトラウマと呼んだりするのではないだろうか。
一件関連無さそうで信じがたいかもしれないが、深層心理では嫌な思いをした事と快楽を結び付けている。
その事が理解できれば、トラウマを克服する道筋が見えてくる。
この記事では思い出す度に辛い気持ちになるトラウマを克服するための方法を3つご紹介しよう。
トラウマの正体
行動しない自分への言い訳かもしれない
苦手意識を生み出す過去の経験
かつて私は犬が嫌いだった。
物心ついた頃、狂犬病という病についてのニュースを見たことがあった。犬にかまれてその病原体に侵されると、人は狂った犬の様に暴れまわりついには死に至ってしまうという。
飼い主と一緒にいる犬は嚙みつくことは無いだろうと分かっていたし、まだ小さかった私は外出時必ず親と一緒だったので安全であった。しかし当時はたまに野良犬を見かける事もあり、危険性も認識していたし、反応して追いかけて来るので決して走って逃げてはいけないとも教わっていた。それくらい子ども心に犬というものに警戒心をいだいていた。
小学1年生の時、5~6人で下校している私たち児童の後ろを少し距離を置きながら一匹の野良犬がトボトボとついてきているのに気付いた。
大人と離れて初めて遭遇する犬であった。初めの内は皆友達の手前、集団でいる安心感もあり犬なんか怖くないさと笑っていた。
その内、1人、2人と別れて行き、残った者は減っていく。実際には人恋しくてついてきているだけの野良犬だったのだが、小さなか弱い獲物に狙いを定め、襲い掛かる隙を伺っているように見えた。悪い予感は当たるもので、果たして最後に1人残った私の後をそいつは付いてきたのだった。
もうお分かりだろう。幼い小学1年生の私はパニックになり、後ろを振り返り振り返り走って逃げた。犬は距離を保ちながらも速足で付いてくる。大声で泣きながら家にたどり着いた私は玄関のドアを叩きながら「助けて助けて」と叫んで親を呼んだ。犬はそんな私の後ろでたたずみ、襲い掛かってくる事は無かった。
家から出てきた母親はその大人しい犬の様子を確認した上で「どうしたの。犬なんか怖くないよ」と言って、そいつの頭を撫でてやり首元をさするようにしてかわいがり開放してやった。
だが、私はその出来事がトラウマとなって、どんなに小さくて飼い主に連れられていようと、犬に近づくことは出来なくなった。
そのトラウマは今は克服できているが、大人になるまで他人の飼い犬には近づくことは出来なかった。
どの様にしてトラウマを克服したのかその方法を以下で述べるとしよう。
過去と現在を結び付けて安心感を得ようとする
人間の脳は一見関係の無いように見えた物事が結び付いたときにドーパミンという快楽物質をだして、快感を得ようとする。
例えば、なぞなぞの答えをひらめいた時などのあの「そうだったのか」という快感だ。
そもそも過去と現在は当然違う時間である。
それなのに同じような状況に置かれた時、過去の苦い記憶を持ち出して、行動出来ない事の理由として結び付け、納得しようとする。
以前失敗したから同じ事はもうしたくない。どうせまた失敗する。
子どもの頃犬に追いかけられたから、また追いかけられる。
といったような場合である。
そうして同じ状況を回避する行動を取る。
そうする事によって脳はドーパミンを出し危険を回避した安心感と快楽を得ようとするのである。
行動原理が分かるとトラウマの正体が解る
人間の行動の動機は2つだけである。
- 苦痛を避ける
- 快楽を得る
有名な原則である。
特に苦痛を避ける事が優先される。
先ほどの話に戻すと、忘れてならないのはその回避したと思い込んでいる危険は、実際には発生していないという事だ。
過去に発生した苦痛は過去の1回キリのものであり、現在のシチュエーションは違うチャンスなのだ。
トラウマを理由に行動しないのは過去のトラウマが「原因」だと言いながら、実はトラウマを「目的」にして結び付け、無意識に楽な方を選ぼうとしているのだ。
正に苦痛を避け、快楽を得ている訳である。
何も因果関係のない事柄を脳内で結び付けて行動しない自分の心の面目を保とうとしているのである。
過去にとらわれて振り向いてばかりで、心にブレーキをかけている。それが楽なのだ。
トラウマを否定する心理学もある
アドラー心理学では上記の様に過去のトラウマを激しく否定している。
行動を起こさない事をトラウマのせいにして、失敗を恐れてチャンスを逃すような真似をしてはいけないのだ。
しかし、それはだれでも簡単に理解出来るものではないだろう。
事実、非常に大きな苦痛を経験した事で、時間が経過してもその時の情景が浮かんだり、感情の麻痺や極端なネガティブ思考になったりといったトラウマは実在し、PTSDポストトラウマティック・ストレス・ディスオーダーという障害もある。つまりトラウマ自体は否定できないしそれは簡単に克服できる感情ではないのだ。
トラウマを克服する3つの方法
1.意味付けを考え直す
嫌な気持ちを認めてから変えて行く
トラウマは誰しもが持ちうるもので、特に否定するものではないが、己の体験に良い判断を下したりすることによって意味あるものに変えることができる。
嫌な出来事があったら、そのまま受け止めよう。
犬に追いかけられて怖い思いをしたら、怖がる自分を認めてあげよう。
全くの誤解から先生や上司に怒られ、自分が悪いと決めつけられたとしよう。
理不尽な事で憤慨し悲しい思いをするだろう。その状況から同じ授業、同じ会議には出たくないと思うかもしれない。
嫌だと思う感情をその場で胡麻化さなくてもいい。
自分の中から湧き出た負の感情を閉じ込めてしまうと、ストレスとなり一気に心が折れてしまう可能性がある。
嫌な思い出を良い経験に更新していく
引きずらない事が大切だ。話を聞いてくれる人がいたら愚痴を聞いてもらう。
時間が過ぎて様々な体験の記憶が上書きされることでも、自然と当時の痛みは消えて行くだろう。
その時の事を思い出すたび、それに良い意味付けを繰り返し行うことによってトラウマ自体をいい経験の一つに変えることすら可能なのだ。
例えば、犬を見て恐怖を感じたなら、「犬に追いかけられて必死に逃げたが、その犬は単に遊んで欲しかっただけで無害であった。小さいころにそれを経験したことはむしろラッキーだった。これまでも犬に襲われたことは無い。犬の安全性が分かったのでいい経験だった。」と思い返すのだ。
人から傷つけられても「生きていれば嫌なこともある。自分は間違っていなかったが、あの人は状況を正確に理解する能力のない人だったのだ。たまたま理解力の無い小学生や野良犬に吠えられたと思えばなんてことはない。そのような人間もいるのだと分かっただけでもいい勉強になった。これからも同じことが起こるかもしれないが、人にはそれぞれ良い面も悪い面もあるのだから今度は良い面を学ばせてもらえるような状況に期待しよう。」などと思い直す事だ。
トラウマを思い出すたびにそのように意味づけを何度も繰り返す事で、その出来事がプラスの思い出に変換されいつしか何とも思わなくなる。
2.運を受け入れる
人生は環境と運で出来ている
あなたに起こる事は全て今いる環境と運によってもたらされている。
どう抵抗しようとそうなのだから、世の摂理だと思って受け入れよう。
環境は選択できる。能動的に行動してなるべく自分にとって良い環境を選択しよう。
運とは占いや運勢といった意味の運ではなく、結果としての運不運の事である。
運不運は誰にでもある。揺らぎのようなもので予測がつかないが、あらゆるものが予定通りにいかない事が必ず起こる。
それを自分ではどうしようも出来ない運として明るく潔く受け入れる事が、人生を幸せに生きるための基本的スタンスになるのである。
予期せぬ事が起こった時は
生きていれば色々あるさ。
と開き直ることが大事だ。
次の行動を考える事で悩みが消える
後は、次にやるべき事だけを考える。
それだけで大抵の事は引きずることなくネガティブな感情を追い出す事が出来るだろう。
だから尚更、気分良く生活できるような環境に身を置く様に行動する事だ。
運不運はいつでも起こるので、どうせなら自分の居心地の良い環境で運不運に任せる事が肝要であることは言うまでもない。
そこでなら、予期せぬ事も受け入れ易い物になるだろう。
現象に意味をつけるのはあなた自身だ
運で起こった出来事に良い事も悪い事も無い。
ただ、物事が起こった現象があるだけなのだ。
それが良い出来事なのか悪い出来事なのかはあなたの解釈だ。
目の前の人が誤解をしてあなたを責めたことがあった。
理不尽な事で納得できない、怖かった、悲しかった、気分が悪くなった。これは悪い出来事だ、と取るか。
- 自分の尊厳は何も変わらない。
- 世の中には、理不尽に思い込みだけで攻撃する人もいる。
- 道端で野良犬に出会ったのと同じで相手にせずに良かった。
- メンタルも鍛えられたし良い勉強になった。
と良い出来事として取るかはあなた次第なのだ。
心が傷ついて痛みが残るのなら、まずその思い出に良い意味づけをする。
そして痛みが癒えるまで何度も思い出す度にその同じ意味づけを繰り返すのだ。
その内、それが良い出来事だったと脳が判断するようになる。
3.時間の考え方を変える
過去は過ぎ去って行く
多くの人は時間の流れを
過去→現在→未来
のように過去から未来へ流れると思っている。至極当然のことである。
現在の結果は過去に原因があると考えるわけだ。
そして現在が未来の原因となる。
だから、過去のトラウマによって現在の行動が制限される場合があるのだ。
果たしてそうだろうか?
本当は違う。
時間の流れは
未来→現在→過去
という風に未来から過去へ流れているのだ。
原因は過去ではなく未来
例えば、今日どこに出かけただろうか?
会社だろうか?買い物だろうか?
まず先にそこに行こうと思ったこと。それが行動の原因であったと思う。
それはつまり、目的=未来が現在の状況の原因になっているということだ。
まず未来の行きたい場所という目的がある。
それに向けて準備をし、行動をしてその場所に行ったという結果が訪れたのだ。そしてそれも今となっては過去の事である。
未来が時間と共にやってきて現在を生きて、あっという間に過去に消えて行く、と考えるのである。
違うだろうか?
過去の結果は未来に原因があるのだ。
だから時間の流れは
未来→現在→過去なのだ
時間が未来からやって来て過去へと消えて行くのだ。
過去は結果だ。過ぎたことだ。
過去に囚われず、未来を目指して、現在を全力で生きよ
もちろん今のあなたは過去の積み重ねであり、過去を否定する事は出来ない。
過去の経歴はその人物の思想を表わしている。しかしそれは過ぎたことだ。
大切なのは過去の積み重ねであるあなたにどうやって未来を積み重ねていくかだ。
過去に未来を左右されるのではなく、
望む未来を計画することで現在の結果を手に入れるのだ。
あなたの目的に、将来に、人生に、過去は関係ない。
未来が過去の延長線上ではなく、望む未来の延長線上を過去にしていくのだ。
そしてそれが、実績となるのだ。
諦めるな。過去の延長線上の未来がやってくる必要はないのだ。
過去はどんなに偉い人にも変えられない。終わった事だ。
過去には良い意味づけをして良い結果にしておけば良い。
あなたは目標という未来からやってくる今この時間を精一杯生きて、過去の結果を生み出しているのだ。
あなたの人生は未来の目標の上に成り立っていて、過去は関係ない。
そんな風に考えてみると、今日すべき事が明確になり、もしかしたらかつてトラウマだった思い出と同じシチュエーションが訪れても乗り越えていけると思わないだろうか?
まとめ
トラウマは存在しないという考え方もある。
行動できない、現実から逃げたい現実をトラウマを言い訳にして、納得しようとしているのかもしれない。
トラウマを克服する方法は3つ
- ネガティブな思い出にポジティブな意味を持たせ、何度も思い出す度にいい思い出として意味づけを繰り返す
。 - 人生は環境と運で出来ていることを理解し、生きていれば色々あるさと、運不運を潔く受け入れる。
- 時間の流れを未来から過去へと流して行き、過去は原因ではなく結果に過ぎないと理解する。
だから、過去のトラウマを理由に行動を制限し、成長のチャンスを逃すような事はしないで欲しい。
昨日までの事はもういいだろう。逃げた事、やらなかった事は過去の事だ。昨日まで上手く行かなかったからといって、明日も駄目だとは限らない。
過去の延長線上の未来である必要などないのだ。
さあ、トラウマなどねじ伏せて、未来からやって来る時間を自分の手で素晴らしい過去に変えて行こうではないか。