前回の記事でネガティブで受動的な相手次第のプライドについて解説をした。
会議の席で知らない用語が出てきた。無能な上司はプライドと引き換えに自分の知識の無さを誤魔化しさも分かったような振りをして大切な議論をスルーした。結局新たな顧客を得る機会を失ってしまった話である。
今回はそのプライドの本当の意味と、正しいプライドを持てて、品格のある人物になり人間関係が良好になるために意識しておきたい3つのポイントを解説していきたい。
目次
プライドの違いを理解しよう
全く異なる2つのプライド
前回の記事でも述べたが、これまで様々な調査、教育相談など3,000人以上の個別相談に立ち会ってきた。
そんな中で「プライド」という言葉に2種類のものがあり、その意味が分かってきた。
- 受動的でネガティブな意味のもの
- 主体的でポジティブな作用のあるものだ
前回の話のように他人によく思われようとして大切なものを失ってしまう、他人任せのプライドが受動的なプライドである。
それでは、自分主体の持っておくべき本当のプライドとは何だろうか。
主体的でポジティブな「本当のプライド」
プライドとは自分が立派な人間だと思える事
プライドとは日本語で自尊心と書く様に、自分自身を尊いと思う事である。
プライドによって行動を制御される場合はポジティブな方向に制御されるべきである。
- そんな下品な真似はプライドが許さない
- この仕事にはプライドを持って取り組んでいる
このような使い方である。
本当の「プライド」はこのような場合にのみ使うべきだ。
それでは主体的な本当のプライドを身に付けるために意識するべき3つのポイントを解説しよう。
1.ライバルを作らない
ライバルの危険性
理想の人物を目標として、その人に負けないように努力するのは大切だ。
その人物はライバルとは違うはずだ。
意識する人物はライバルよりももっと気高く、神聖で手の届かない存在。
生涯をかけて目標にする存在でなければならない。
身近なライバルを目標にして妙なプライドを持ち、勝った負けたとやっているようでは突き抜けた存在にはなれない。
ライバルは自分だけで十分
ライバルと思えるような存在がいたら、相手の事を認めて尊敬して、自分はそれを元々超える存在であると自覚していれば相手の行動に振り回されてメンタルを揺さぶられることは無い。
ライバルの存在はあっても良いし、ライバル心は適度な体脂肪の様にある程度のエネルギーになることもある。
ただし、ライバルはあくまでも大きな目標達成のための通過点、踏み台として勝手に設定するものと捉えよう。決してそれに振り回されたり一喜一憂しないようにしよう。
そういった意味ではライバルは作らない方が良いし、意識するライバルは昨日の自分自身であることを自覚しよう。
そうすれば、これまでのギスギスした人間関係とは早々に縁を切る事が出来るし、他人に振り回される事なく
2.自分の価値を他人に左右されない
知らない事は知らないと認めよう
本当の自尊心とは自分自身で自分の価値を知っていて決して他人に左右されないと思う心である。
弱点を隠し、誤魔化し、知ったかぶりをしてやり過ごすような人間をあなたは立派だと思うだろうか。
誠実で努力する人間を立派だと思うのではないか。
そうであれば、本当のプライドとは自分は立派な行動をしたと思えることであると理解できるはずだ。
もし、前述した調査会社の上司が自分の価値を信じて本当のプライドを持って仕事に取り組んでいたなら、その場で皆の前で部下に頭を下げ、その最新の○○という仕組みについて教えてもらい、議論を発展させていただろう。
そして、そんな彼を皆が尊敬し、この上司に付いていこうと決心したはずである。
素直に聞き返す事で人間関係を進める
プライベートでも全く同じだ。
自分の無知や過ちを素直に認めて頭を下げる事が出来る人。
信念を持って行動している人。
そんな人が周りから好感を持たれ、人が集まって人間関係が良好になってくるのだ。
あなたにも心当たりがあるだろう、会話の中で出てきた物事について一瞬分からないと思っても、流してしまってうんうんとうなずいたりした事。
そんな時こそ新たな気づきと知識を手にする絶好のチャンスだ。
思い切って、今の○○って何?、それってどういうものですか?、もう一度良いですか?などしっかりと確認する様にしよう。
相手に嫌われるどころか相手は喜んで教えてくれるだろう。そして素直なあなたに好感を持ってくれるはずだ。
そうして良好な人間関係が構築されて行くのである。
馬鹿にされても平気でいられる
誰かに馬鹿にされても気にしない事も大切だ。
本当の自分の価値を知っていれば、他人の評価など気にならないはずだ。
その事は常に自覚しよう。ついつい他人からからかわれたり、嫌味を言われたりすると怒りの感情が湧いてしまいがち。
そんな感情は何の役にも立たないどころか、マイナスのパフォーマンスをもたらしてしまう。
他人を怒らせるような言動をしてくる相手には、こいつ馬鹿なんだなと思うから全く腹が立たない。とは超大物タレント明石家さんまの言葉である。
自分の価値に他人との比較とか立場だとかは関係ない。
比べるのはあくまで自分と自分だ。
昨日までの自分と今の自分を比べて成長しているかどうか。
理想の自分に対してその通り振舞えているかどうかだ。
自分の価値は変わらない。
他人の戯言など聞き流す余裕を身に付けておこう。
3.自分との約束を守る
私が出会ってきた成功者とそうでない多くの人との違いがある。
成功者たちはいつも自分との約束を守っているという事だ。
- この作業は一日も欠かさない。
- 時間通りにローテーションで決めたことはやる。
- どんなに勧められようと嗜好品やお酒などやらないと決めたことはやらない。
といった具合だ。
自分との約束を守るという事は他人との約束を守ることになるので信用も築く事が出来る。
何もかもストイックというわけでなく、ただ自分の中で一度決めたことを例外なくやり抜くという事だ。
自分との約束を守れたという事で、自信が湧いてくる。やる気や活力の源となる自己肯定感がついてくるのだ。
お天道様は見ている
そんなに、自分に厳しくなれない。
誰も見ていないとズルズルと怠けてしまうというかもしれない。
現に人間は弱い生き物だから大抵の人がそうなってしまうだろう。
怠けてしまいそう、自分との約束を破りそうになった時は
「誰が見ている訳ではない、お天道様は見ている。」あるいは「神様は見ている。」という言葉を心の中に常に持っておく事だ。
昔の人は良く言ったものだ
人の行いは全てがその人の人生に反映される。
実際、人の道から外れるような行いばかりしていると、自己肯定感が下がり心がすさんでくることが分かっている。
不正に手を染めて一時的に得をしたとしても実力とは程遠いもので、継続して得し続ける事は出来ない。
ズルをして手にしたものはいつの間にか幻の様に消え去ってしまう。
そうすると益々誠実さや努力といった道徳から外れ、怠惰な生活に身を落とし、集団に協力するどころか周りの世話になる。
ここまで極端でなくても、ズルをする度に自己肯定感とは程遠い評価を自らに下し、チャレンジすることなく最低限の生活にしがみつくしかなくなるのである。
そのまま成功することなく、自分はこんなものだと諦める人生を送る羽目になる。
そう、まるで神様に見られているかの如く、自らの行いが自らに降りかかってきた結果だ。
神さまは人類の本当のプライドの象徴
だから、実際に神様の存在は多くの人に信じられている。
長年の人間関係、地域社会との関係から因果応報、自分の蒔いた種は必ず自分が刈り取ることになると学んできたのだ。
元来、人々はそうやって自らを戒め、人の道から外れない様道徳心を養い、親から子へと受け継いできた。
神様というのはポジティブなプライドの象徴、集大成なのかもしれない。
そして、すでに述べてきた内容からお気づきの通り、そのお天道様、神様は自分の心の中にいるのだ。
誰も見ていないから、怠けたいとか、不正、インチキ、ズルをしようとかそういう気持ちが芽生えた時は、思い出そう。
必ずお天道様は見ているのだと。
自分に負けそうなときは思い出せ。
お天道様は見ている
まとめ
プライドには2通りある
他人から下に見られたくない、恥をかきたくないという
他人任せの受け身的なネガティブ思考のプライド
自分の行いに誇りを持つ
主体的でポジティブな意味のプライド
あなたは前者を切り捨て、後者を選ぶべきだ。
前者は自己満足意外に何のメリットもあなたにもたらしてはくれないのだ。
意識するポイントは3つ
- ライバルを作らない
- 自分の価値を他人に左右されない
- 自分との約束を守る
自分自身が自分の行動を評価し、精一杯やっているか出来ることに全力で取り組んでいるか、どんな小さなことでも人の道に外れていないか常に目を光らせるようにしよう。
繰り返し繰り返し、今の自分は自分の事を立派だと思えるのかと自問自答することだ。
自問自答を繰り返し、目標に向かって自分を強制的に動かすことを習慣化するまで続けるのだ。
それが真のプライドだ。
習慣になってしまえば無意識にやるべきことを出来るようになり、成功者のオーラが出てくるのだ。
私が出会ってきた、人格者、成功者の話をまとめると上記のような結論になる。
他人に左右されるネガティブなプライドなど捨ててしまおう。
自分の中から湧き出る主体的で道徳心に満ちた真のプライドを身に付けて行こうではないか。